2012年3月6日火曜日

二月末宮城・山形県境奥羽の分水嶺仙王岳を歩く

2月7日は雨天のため、登り口で亀岡文殊山に変更したため、28日の今回は再度の挑戦でした。仙王岳は『奥羽観跡聞老志』にも仙翁嶽と記載されていて、宮城県七ヶ宿町と山形県高畠町の間、国道113号線の南位置しています。
この近くには二井宿峠があって、その峠を西に越えると高畠に入り、伊達氏の旧領米沢はすぐ近くです。
政宗は豊臣政権下で置賜を追われ、陸前の岩出山に転封させられました。故地を奪われた恨みで伊達氏は豊臣方に対抗する徳川家康に接近し、一方上杉氏は豊臣方です。関ヶ原の戦い同様、東軍の伊達氏と西軍の上杉氏が激突することになり、その攻防の舞台となったのが、ここ二井宿峠近く、今水芭蕉の群生地などでも有名な玉ノ木原とされています。このとき攻め取った仙台伊達藩の領地は、峠から数百m高畠側に入り込んでいたことから、これを「伊達の無理境」と呼ばれていたと言われております。


この山の仙翁の名前について関連することについて調べて見ました。仙翁はナデシコ科 中国原産の多年草で、直径 4 センチくらいの深紅色の花をつけ、京都府嵯峨の仙翁寺に伝わったのでこの和名がついているそうです。もしかすると仙翁が群生しているところがこの山の何処かにあるのかも知れません。

二井宿第二トンネル付近の登り口と準備

登り口は峠から200m西側二井宿道路第二トンネルの少し宮城側、旧道の始点付近としました。勿論登山道はなく積雪期のみの入り口です。はじめは、そんなに五月蠅くはない藪をこぎながら急坂を進みました。そして取り付いた尾根は、現在県境となっている尾根の一本東側にありました。
そうです「伊達の無理境」がなければ、我々のグループが歩いたその尾根が県境とされていたかも
しれません。

尾根歩き、仙王岳を望む

この尾根は700mほど南南東に伸び、北から伸びる尾根と合流してますが、見通しは良好で、往時道があったように思われます。尾根の東側には雪庇が張り出しています。低山なのでそれ程の恐怖感はありません。

尾根に張り出した雪庇と遠く番城山を望む

急坂箇所は尾根に上がる手前100mで、総じて快適な登りでした。雪の状態も、以前の降雪が雨や気温の上昇があって固まった上に、新雪が30cm程度積もった状態でした。それで、苦労するような
ラッセルはあまりありませんでした。。
この様な好条件で頂上へは11時に前に到着しました。時間も十分にあることから、頂上から東に延びる尾根を歩きました。この尾根から、南側の展望が素晴らしく、国道399号の直ぐ北に位置する龍ヶ岳、遠く福島件と米沢の県境の栗子の山々を眺めることができました。
そして、写真がイマイチですが、雑木の小枝に付着した霧氷と雪で、本当の桜のような雪の花を見ることができました。今年は寒い気象条件が続き桜の開花が遅れるようなので、神様がこの様な形で美しい花を見させてくれたのでしょう。感謝でした。
頂上から東に張り出した尾根で桜の様な雪の花

下降時間は約1時間。順調で楽しい山の散歩でした。


コースタイム:
登山口8時50分発→尾根(県境尾根東)638m取り付き通過9時30分←尾根合流点(817m)→
10時55分仙王岳山頂11時11分発→東尾根端11時24分→11時38分仙王岳山頂11時55分→817m尾根合流点通過→638m取り付き通過→登山口12時56分着
今回歩いたルート

歩いたコースはGPSの軌跡のとおりです。  

天気:宮城県側は晴れておりましたが、冬型の気象条件で山形県側の視界は悪い状態でした。気温は国道113号の表示では氷点下5度となっておりました。

参加者:Y講師、S先輩、Sさん、Oさん、Kさん、これを書いている人です。

雑感:種々の山を散歩するとき天気が良ければ必ず山を望みます。そんな時、先人もこの山を見ていたのだろうと想います。そして現代の我々と同じく、その山を見ながら時には勇気づけられたり、慰めたりしたのであろうと思うのです。
高く鋭い頂きや岩壁を持つ山は厳しさの中に気高さ示してくれるし、カーブで構成される嫋やかな山は優しさと包容力を示してくれます。
仙王岳は後者の類でしょう。しかしその麓で伊達と上杉の戦いが行われて、死傷者もでていたことを思うとき、そしてその領土紛争の結果それが現在の県境になっていることを考えると複雑な気持ちになります。

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