をしております。 今年は、調査を兼ねて、2012年10月2日の散歩となりました。
十里平の一番北側に駐車し、そこから、北東方向に大倉川方向に伸びる林道から
始まります。200m程歩き川の手前の比較的広い湿地から90℃方角左へ変え、
山道を進みます。
十里平からの林道に大倉川手前の標柱 |
林道から大倉川に沿う道に下りる |
大倉川側が切れ落ちている所が数カ所ありますが、集中です。
大倉川を見ながら注意 |
20分程歩くと右側に大倉川に架かる朽ちた橋梁と橋脚が見られます。
トロッコ軌道にあった橋脚と朽ちた木の橋梁 |
昔はこの橋梁を渡っていたとか。危険なので十数年前に壊してしまった様です。
さらに進むと立派な砂防ダムがあります。
砂防堰 |
その上流で川を何回か渡渉します。夏には渇水状態であったものが、九月下旬
から増水中で、歩く場所を間違えると膝近くまで潜ります。
渡渉を前にして |
渡渉地点の大倉川 |
そして矢尽沢合流部と戸立沢合流部の中間辺りから急な尾根に取り付きます。
登りの途中にはインクライン(英語の名詞の incline は斜面、勾配の意だが、
特に日本語では「傾斜鉄道」と呼ばれる施設を指す)の名残の鉄製品がさびて
転がっていました。登りきった所には、同じように残骸が見られました。
深野稔生著「宮城産土の山を行く」無明舎出版1999.8によれば、十数年
前まではインクライン終点のウインチ用機械小屋の廃屋があったと記載して
いますが、現在は影も形も見受けられません。
話は続きましが、昨日(2012.10.12)大倉ダムの骨材の石を採掘した石山
トレキングの案内をしていただいた大倉ふるさとセンター長の小林氏によれば
当時は、ブナの大木を積んだトロッコをインクラインから下ろしたとのことで
その大木は今考えられない位大きかった。大倉のブナは世界遺産の白神山より
すばらしかった。今残っていれば船形山は世界遺産になったかもしれないと残念
がっておられました。
少しの儲けのために失った人類の財産は大きかった。
人間社会は賢くなっているのか改めて考えさせられます。
インクラインの残されていた部材 |
さて、インクラインのところからは北北西にトロッコ軌道跡を歩きます。
トロッコ軌道跡の道 |
北東から流れる沢を渡る橋の橋脚もはじめて見ましたが木で作られていました。
廃線後年数が経っていることで、所々に崩れた法があったり、倒木が通行を
妨げておりました。途中611 m N38 24.370 E140 36.547地点に林道との
アクセス道路があり、場所が特定できるようGPSの軌跡がアクセス道の軌跡を
残しています。
そのアクセス道から北に進んだところで、道が荒れて進めなく今回は、ここで引き
返すこととなりました。その近くから大倉川に下り、河原で昼食となりました。
大きな石もある河原でした。
食事場所の大倉川河床の状況 |
食事の後、対岸に渡渉して、大きな岩の上に石碑があり、八聖山神社と刻まれて
おりました。石碑の下方に明治○○年とあるそうですが、確認できませんでした。
石碑 |
前出の小林氏によると、この石碑は昔その地点から切った木を大倉川に流して
下流で回収したとのことでした。昔は大木を流せる流量があったとのことです。
今回歩いた昔の大倉コースは、昭和に書かれた「改訂 船形連峰御所山案内」
船形連峰御所山開発促進期成同盟会 1987.5 によれば「山慣れしている人が
辿れるコース」とされています。今回は位置的にはササキ沢分岐手前までの
調査になりましたが、何れ仙交小屋跡まで、昔のコースを確認できればと
講師は思っているようです。
GPSの軌跡上部の細線で囲まれた部分が下の地図 |
上部の囲まれた部分の拡大図 |
コースタイム:
十里平8:30→インクライン跡10:30→林道へのアクセス分岐11:30→
引き返し点11:57→大倉川河畔休憩食事12:10~12:40→石碑12:50→
軌道跡道へ13:23→インクライン跡14:09→十里平15:26
天気:曇り小雨 参加者 9名
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